42 絵のない絵本

絵のない絵本 (新潮文庫)

絵のない絵本 (新潮文庫)

 アンデルセンと言えば「人魚姫」「みにくいアヒルの子」など、童話作家としてのイメージがどうしても先行する。それもあってか、この「絵のない絵本」は小説だが、童話的でファンタジー要素の強い物語として読んでいた部分があった。実際、そういったジャンルに分類される小説なのだとは思う。しかし、童話的だからと言って幼い子に向けたお話という印象は全くなく、どちらかと言えば大人へのメッセージが込められているように思えた。だからなのか、抵抗なくすらりと読むことが出来た。夜に主人公の元へやって来る月が色々な話を語るというワンパターンになりがちな設定なのに、少しも飽きることがない文章の巧みさに惚れ惚れとしながら、あっという間に読み終えてしまった。
 淡々と月は第三者の視点で語るのだが、その中には喜ばしい出来事もあれば、悲しい出来事もあった。しかしその出来事たちに対する感情は、月の話を聞いた主人公が抱いたものに限りなく近く、月自身はただ事実だけをありのままに受け止めて、それを主人公に伝えているだけのようだった。だからこそひとつひとつの物語は、さらりと読むことも出来るし、深く考察することも出来る。他者の余計な感情が入って来ないので、わたしはわたし自身と、月の語る話を通じて対話することが出来た。途中から、主人公がわたしなのか、わたしが主人公なのか、わからなくなってくるほど。意識が小説の中に取り込まれて同化していくのを感じた。アンデルセンの描写はとても美しく、幻想的で、すっかりわたしは魅了されてしまっていた。
 そもそも、月が語る、という設定がずるい。わたしは月に特別な思い入れがあるので、余計にそう思った。月が意識を持ち、世界を静かに見守っている。そしてそれを淡々と主人公に伝える。その主人公と月の密会のようなやりとりは、ドギマギしてしまう。笑われるかもしれないけど、わたしも月と話が出来るような、そんな気に本気でなってしまう。月は、母なる光で世界を照らし、優しく平等にそれぞれの出来事を見守っている。その姿勢がとても愛しくて、神秘的で、そして切なくも感じられた。
 読み終えて暫く、わたしは月になったつもりで色々な地域を旅してみた。想像でしかない、ただの妄想として片付けられてしまうであろうその物語たちは、確かにわたしの創作の糧になっていた。わたしの一番描きたかったこと。それを思い出させてくれたのが、この「絵のない絵本」であることは、紛れも無い事実である。わたしも夜空に浮かぶ月のように、たくさんの人生を綴っていきたい。