47 ぎょくおん


 3月21日に開催された「第3回 Text-Revolutions」で出逢った一冊。限りなく純文学に近い、緻密な組み立てのエンタメ小説だった。「こういう作品を待っていました!」と高揚する気持ちが溢れ、読み終わっても頁を閉じるのが惜しくてたまらなかった。
 主人公の独白という形で進む物語。姉との共依存から逃げ出し、薬の副作用による乳汁分泌に悩まされ、消極的な死に憧れを見出している男・郡司。
 どう考えても共感出来ないだろうと思い読み始めたのだが、最後には自分も涙しそうになっていて驚いた。境遇は全く違うけれど、わたしも似たような想いを抱いて生きている。「似たような想い」なんて、郡司が聞いたら無関心を貫かれてしまいそうだけれど。
 絶妙な伏線がすべてひとつずつ回収されていき、気付けば視界がひらけていた。キーワードの散りばめ方がとても巧くて、何度でも読み返したくなる。読み返した数だけ新しい発見がありそうな、そんな物語だった。麻雀好きにはニヤリと出来る描写もあり、細部まで意識の行き渡った丁寧な文章は素直に面白かった。オススメです。


ぎょくおん
オカワダアキナ(サークル名:ザネリ)
書籍|文庫判(A6)
162ページ
400円

こちらに詳細アリ。冒頭の試し読みも出来ます。
http://akinamushi1012.wix.com/okwd#!new/t6l1s

46 窓の魚

窓の魚

窓の魚

「こんな小説を書いていたら、身体がもたないのではないだろうか」
 そう作者の心配をしてしまうくらい、震えるほどの衝撃を受けた。こんなに物語に圧倒されたのは久し振りだった。その一文一文から丁寧な想いが伝わって、物凄いエネルギーを感じた。正直、自分はもう小説を書くのをやめようか、とさえ思った。命を削って物語を紡ぐとは、こういうことなのだ。そう思えた小説だった。
 内湯に泳ぐ魚の宿は、以前テレビで見たことがある。それを作者がヒントにしたのかはわからないが、少なくともわたしには夢心地なリアリティを齎してくれた。四人の視点から成る物語の本質は、最後まで読んでも見えてこない。なので、読み方によっては少しも面白く感じない人もいると思う。何か本当かわからない、ぞくっとする話だった。人間の真理、その怪しさを問いているようにも思えた。
 けれど特筆すべきはその内容より、地の文の描写だ。ナツの章のそれが、本当にとてつもなかった。単純な感情表現しか出来ず本当に申し訳ないが、凄すぎて泣きそうだった。次から次へと襲いかかってくる描写に、一気に惹き込まれる。文字の連続の向こう側にハッと気付くことがあり、何度も夢から覚めるかのようだった。これだけでも読む価値がある、と思った。のちに直木賞受賞作家となるのも、頷ける。
 魂込めて文章を紡ぐ。その作者の想いが真っ直ぐに伝わってきて、同じく小説を書く者の端くれとして、とても刺激的な一冊だった。少し諦めかけていた想いが、奮い立たされた。
 まだ、終わりにはしたくない。そう強く思う、決意の一冊となった。今年出逢った本では、間違いなくナンバーワン。しかし、作者の小説の中では変わり種らしいので、次は西加奈子らしいと言われる小説を読んでみたい。

45 後輩書記とセンパイ会計、不乱の刀剣に挑む

後輩書記とセンパイ会計、不乱の刀剣に挑む

後輩書記とセンパイ会計、不乱の刀剣に挑む

 最近流行の刀剣がモチーフの物語たち。流行りだからシリーズに取り入れただけかと思えば、そうではない。それぞれのお話にきちんと納得のいく説明がついているし、ただ取ってつけたような違和感は全くない。流行ワードもきちんと自分のモノにして作品に取り入れる。こういう所が、シリーズ累計頒布数3,000部突破の秘訣なのかもしれない。
 3,000部。その数字に最初は驚くが、作品を読んでいくうちに当初の驚きは納得へと変化を遂げる。「ゆるふわ妖怪小説」というコンセプトのもと紡がれる物語は、とても丁寧でやさしい文章だ。物語に定型、いわゆるお決まりのパターンというのがあり、それをすっかり味方につけている。はじめてでも、何度読んでも、安心感を得られる文章は、素直にすごいと思う。
 今回は世界さんが大活躍だった。そして英淋さんがとてつもなく可愛い。作者本人もあとがきで述べているように、ゆるふわは何処へやら、といった展開だったが。それでもやっぱり根底には「ゆるふわ」があった。それは作品全体に共通する世界観であり、確立したキャラクターたちと、そのキャラクターたちへの作者や読者からの深い愛情で支えられているように思う。
 わたしは栃木県出身なので、日光が舞台の表題作は特に親しみをもって読めた。二荒山神社に刀剣があることすら知らなかったので、今度是非見に行きたい。同じような理由から日光東照宮も巡って、後輩書記シリーズ聖地巡礼を果たそうではないか。ヒロインのふみちゃんファンとしては、彼女と同じような視点で世界を見てみたい。そういった意味でも、実在する場所が出てくるととても嬉しくなる。
 本書には四篇の作品が掲載されているのだが、中でも一番好きだったのはふみちゃんのご両親の馴れ初め話。なんだかんだで、わたしはやはり色恋話が好きなようだ。二人のぶっ飛んだ馴れ初めには「あやさん、主馬さん、さすがです!」と言いたくなる。
 刀剣女子や、妖怪が好きな方、中学生の淡い恋心にほっこりしたい方にもオススメしたい作品。

44 さようなら、僕のスウィニー

 鉄道にまつわる短編小説集。お話に出てくるのは全部違う電車なのに、線路のはずなのに、ずっと同じ感覚がまとわりついてきた。ひとつの大きな記憶の海の上を走る電車に揺られている気分だった。
 主人公たちは全員どこかノスタルジックな雰囲気を醸し出していて、「何か」を懐かしんでいる。その「何か」はそれぞれ違うのだけれども、電車という繋がりが出来ることですべての物語がひとつに綺麗にまとまっていた。過去を忘れられない者、自分の決断に悩む者、未来を見つめる者。それぞれの人生の大事なパーツのひとつとして、電車が関わっている。電車は、みんなの記憶を乗せて走る。そしてあのガタンゴトンという穏やかに繰り返される振動が、かつての過去をリアルに蘇らせる。まるで追体験しているように、「あの頃」を思い出す。ああ、そういえばわたしもそうかもしれない、と主人公たちの中に混ざってみる。
 わたしが学生の頃、一緒に暮らしていた男性がいた。彼と降り立った駅は数知れないが、彼の実家があった「駒込」と、通っていた大学のあった「高田馬場」、当時入り浸っていた彼の友人の家があった「西新宿」は、今でも通過する度にわたしの中にある彼との想い出を揺り動かす。それも、美化された楽しかった想い出ばかりが込み上げて来て、彼のことが懐かしくなる。だけど、それらの駅にわたしは降り立とうとはしない。だって、それらは今の自分を形成している一部ではあるけれども、もう通過してきたただの過去でしかないから。心のどこかに駅名のアナウンスが引っ掛かって一瞬物思いに耽るけれども、それだけだ。それはきっと過去のこと、と割りきっているから。それでも、確実に今に繋がっている大切な一部だったことに変わりはないから、きっといつまでも忘れることは出来ないのだろう。そういう、自分勝手な想い出の中で、人々はきっと生きていく。
 電車というのは不思議なもので、人が大勢いてもどこか無防備な自分が居る。車体が大きく揺れた一瞬だとか、車窓から外の景色を眺めている時だとか。そういう瞬間にふと、自分自身と向き合う時間が訪れる。この作品は、その瞬間のことを描いた作品だとわたしは思う。
 大崎先生の作品で短編を読んだのははじめてだったが、もしかしたらわたしは先生の作品は短編小説の方が好きかもしれない。またひとつ、大崎善生の世界を知れて良かった。世界に浸ることが出来たのが嬉しい。そう思いながら、電車に揺られながら最後の頁を閉じたのだった。

43 神様のメモ帳2

神様のメモ帳〈2〉 (電撃文庫)

神様のメモ帳〈2〉 (電撃文庫)

 わたしが恥ずかしながらも号泣したライトノベルの続編。あまりに危険過ぎる事件に挑むニートたちが繰り広げる、探偵物語。今回は泣きはしなかったが、始終ハラハラしながら読んだ。経済のお話がわからないとちょっと難しいかもしれないけれども、わからなくてもまあ大丈夫な感じ。多分、主人公もそこまでちゃんとわかっていない、と思う。この場合の「わかっていない」というのは、経済の仕組みについてというよりは、その危険性や重大性について、と言った方が正しいかもしれない。とにかく「無茶しやがって」と言いたくなるような、そんな物語だった。
 テンポ良く展開していくなと思っていたら、実は見えないところで物事が進んでいたり、気付いたら置いてけぼりを食らっていたりして、なかなか一筋縄ではいかない。また、主人公が前作の終わりで負ったトラウマと戦っているような描写が何度か出てくるが、その様子があまりに弱くて「しっかりしろ!」と尻を叩きたくなった。逃げているだけの主人公に苛々が募っていくが、それも作者の思惑通りだったのかもしれないな、と全てを読み終えた後にそう思った。そうだとしたら相当な策士だ。小説家って得てしてそういうものなのかもしれないけれども。
 わたしとしては、面白く読めたので評価は上々。前作と比較して、キャラクター萌え度が増していたのはやはり続編だからだろうか。ストーリーは勿論だが、キャラクターたちの魅力的な部分が大いに引き出されていたように感じた。愛すべきライトノベルと出逢えて本当に良かった。
 そして、この文章を書くために以前の記事を探してみたら、第一巻を読んだのが三年前だったという事実に驚愕した。読書ペース遅すぎでしょう、いくらなんでも。シリーズものはなかなか全部読み終えられないという弱点をこの「神様のメモ帳」で克服したい。

42 絵のない絵本

絵のない絵本 (新潮文庫)

絵のない絵本 (新潮文庫)

 アンデルセンと言えば「人魚姫」「みにくいアヒルの子」など、童話作家としてのイメージがどうしても先行する。それもあってか、この「絵のない絵本」は小説だが、童話的でファンタジー要素の強い物語として読んでいた部分があった。実際、そういったジャンルに分類される小説なのだとは思う。しかし、童話的だからと言って幼い子に向けたお話という印象は全くなく、どちらかと言えば大人へのメッセージが込められているように思えた。だからなのか、抵抗なくすらりと読むことが出来た。夜に主人公の元へやって来る月が色々な話を語るというワンパターンになりがちな設定なのに、少しも飽きることがない文章の巧みさに惚れ惚れとしながら、あっという間に読み終えてしまった。
 淡々と月は第三者の視点で語るのだが、その中には喜ばしい出来事もあれば、悲しい出来事もあった。しかしその出来事たちに対する感情は、月の話を聞いた主人公が抱いたものに限りなく近く、月自身はただ事実だけをありのままに受け止めて、それを主人公に伝えているだけのようだった。だからこそひとつひとつの物語は、さらりと読むことも出来るし、深く考察することも出来る。他者の余計な感情が入って来ないので、わたしはわたし自身と、月の語る話を通じて対話することが出来た。途中から、主人公がわたしなのか、わたしが主人公なのか、わからなくなってくるほど。意識が小説の中に取り込まれて同化していくのを感じた。アンデルセンの描写はとても美しく、幻想的で、すっかりわたしは魅了されてしまっていた。
 そもそも、月が語る、という設定がずるい。わたしは月に特別な思い入れがあるので、余計にそう思った。月が意識を持ち、世界を静かに見守っている。そしてそれを淡々と主人公に伝える。その主人公と月の密会のようなやりとりは、ドギマギしてしまう。笑われるかもしれないけど、わたしも月と話が出来るような、そんな気に本気でなってしまう。月は、母なる光で世界を照らし、優しく平等にそれぞれの出来事を見守っている。その姿勢がとても愛しくて、神秘的で、そして切なくも感じられた。
 読み終えて暫く、わたしは月になったつもりで色々な地域を旅してみた。想像でしかない、ただの妄想として片付けられてしまうであろうその物語たちは、確かにわたしの創作の糧になっていた。わたしの一番描きたかったこと。それを思い出させてくれたのが、この「絵のない絵本」であることは、紛れも無い事実である。わたしも夜空に浮かぶ月のように、たくさんの人生を綴っていきたい。

41 ダックスフントのワープ

ダックスフントのワープ (文春文庫)

ダックスフントのワープ (文春文庫)

 過去、日本ペンクラブのイベントで作者である藤原伊織の講演を聞いたことがある。亡くなる直前だった。癌に侵されていると聞いていたのに、講演中に煙草休憩を入れていて、その自由な言動に興味を惹かれた。それから藤原伊織の作品に興味を持ちつつも、なかなか踏み出せないまま、約五年の歳月が流れた。
 だから古本市でこの本を見つけた時、何かに導かれて手に取ったような気がした。自分で読みたくて探して見つけたわけじゃない。古本市という場所でこの本と巡り会えたことは愛しい奇跡であり、避けられない必然であったのだろう。
 藤原伊織の文体は、どこか村上春樹を彷彿させる。淡々と進み、クールで突き放された印象だ。でも春樹とは違って、遊び要素が少ない気がした。無駄な表現がないとでも言うか、すべてが計算され尽くされていて、理系っぽいイメージを受けた。わたしの好きな、理系腹黒男子だと思った。冷淡というよりは冷酷な小説で、でもそのくせ温かい愛しい世界に手を伸ばそうとしているようにも見えた。エロ要素が少ない分、村上春樹より好きかもしれない。
 ダックスフントが旅をする想像のお話を、家庭教師先の女の子にしてあげるという軸の小説だったが、その想像世界と現実世界とのバランスがとても良かった。複雑でドロドロしがちな現実世界を慰めるように、想像世界でダックスフントは純粋に生きて、奮闘する。その二つの世界を繋いでいるのが、家庭教師先の女の子、下路マリだ。広辞苑が好きな自閉的な少女マリは、難しい言葉をよく知っていて、でも知らないことがとても多くて、主人公とのそのやりとりが、読者が幻想世界と現実世界の行き来を円滑に行うためには必須となっている。二つの物語が交差しているというのに、滑らかな印象を受けたのは、このマリの存在が大きいだろう。
 結末も衝撃的で、全体を見渡せば、残酷な小説と言えるかもしれない。実際、そういったレビューは多く見受けられる。しかし救いようなのない小説なのに、とても愛しく感じてしまうのは何故だろう。そう考えた時に、残酷の中にもそこここに愛が散りばめられているのだとわたしは思った。虚無感やメランコリックを愛するわたしから見れば、この小説は完璧なまでに愛される資格を持って存在している。
 生きているということは残酷で、けれどもとても愛しいもの。同じような性質を持ったこの小説は、まさに生きた小説なのだ。