40 勝手にふるえてろ

勝手にふるえてろ (文春文庫)

勝手にふるえてろ (文春文庫)

 文庫版の表紙がうさぎで、それにつられて購入した。うさぎ好きにはたまらない表紙である。しかし、本編はうさぎとは全く関係がなかった。
 26歳OLの主人公ヨシカが、賞味期限切れの片思い相手である「イチ」と好きでもない現実の彼氏(候補)である「ニ」との間で揺れ動く様を描いた作品だ。
 主人公は綿矢りさらしいリアルな妄想女子で、恋愛初心者らしい感じがひしひしと伝わってくる。特にイチに対する妄想や思い込みは脱帽モノ。偶像崇拝という言葉がぴったり当てはまる。美化された片思いほど始末に終えないものはない。かく言うわたしも未だに七年間片思いした相手の夢を毎晩のようにみる。結婚したのにこれなのだから、独身でまだ希望が見いだせそうな場所にいるヨシカは尚更、イチへの想いを募らせていることだろう。
 また、ニへの態度が曖昧になってしまうヨシカの優しさは残酷だ。自分も好きな相手に振り向いて貰えない状態で、似たような境遇のニの気持ちを考えるとNOと強く言えないのだろう。わたしだったらあっさりと断ってかわしてしまいそうな事柄も、ヨシカは面倒に思いながらも丁寧に接する。その残酷さはニへの優しさでもあるが、自分自身への甘えでもあると思う。好きだと言い寄られて悪い気はしない。今のままの付かず離れずの追いかけっこの関係を続けていくのは一種の快感に近いものがあるのかもしれない。わたしも過去、似たような感じで自分に想いを寄せてくれている男の子と微妙な関係を続けたことがあるので、ヨシカの気持ちはわかる気がする。
 と、なんだか自分の過去の恋愛話ばかりに繋げてしまったが、そうなのだ、ヨシカは過去のわたしにとてもよく似ている。だから激しく共感出来るし、でもだからこそ見ていられない時もある。
 結末は拍子抜けするような感じだったが、綺麗に収まった感じだろうか。ヨシカのその選択が正しいかはわからないけれども、きっと彼女の中で最良であることに違いはなかったのだろう。ヨシカが悩みに悩んで喚き散らして得た結論は、まだまだ未来へと長く伸びて続いていくようだ。ヨシカには幸せになって貰いたいが、これからも平穏無事というわけにはいかないのが、恋愛というものだ、と多少冷たく突き放した感じで見守りたい。

39 しをんのしおり

しをんのしおり (新潮文庫)

しをんのしおり (新潮文庫)

 三浦しをんのエッセイ本。著者の小説は読んだことがあり好きだったのと、エッセイが無性に読みたくなったので、購入した。しかし、三浦しをん自身についての予備知識ゼロで挑んだので、最初は面を喰らった。
 本書は著者の妄想爆発の日常系エッセイだ。冷静に淡々と妄想を語るしをん氏の文章は最初は少し抵抗があったが、慣れてくればくすりと笑え、もっともっとと病み付きになる。読み終えてしまうのが勿体無く感じ、しつこいくらいに重ねられたあとがきで何故かほっとし、ようやく徐々に終わりを受け入れることが出来た。
 主に腐女子と呼ばれる類の妄想が多いしをん氏。本人も自他共に認める同人好きだとか。イベントとかにもよく行かれるらしい。本書の内容の8割(というのは言い過ぎか?)がそういった内容だったのには驚いた。いつでもどこでも妄想力逞しいしをん氏には脱帽である。わたしもそれなりに妄想力はあるほうだと思っていたが、いやはやここまでくると少しついていけないかもしれないと不安になる。ただ、読んで傍観している分には実に楽しい。人の妄想を聞くのは基本的に好きなのだ。そうじゃなければ、小説など好んで読んでいられない。
 エッセイには友人や家族も数多く登場する。その誰もが親しみやすく身近に感じられた。それはしをん氏と友人らの普段の距離感がそのままエッセイに表れているからではないだろうか。他者との距離感を書くのはなかなか難しい。それをさらりとやってのけるしをん氏はさすがと言わざるをえない。
 そして、ここまで書いて気付いたのだが、本書の中で著者も触れていた、女性を下の名前+「公」のポジションをつけて呼ぶことが多いというのをわたしもそのまま実行してしまっていた。でも、三浦氏よりもしをん氏のほうがしっくりくる。それはわたしの中で、しをん氏がとても身近に感じられる存在になってしまったからだろう。このエッセイを読んでからわたしの中では、手の届かない素敵な小説を書く三浦しをんではなく、妄想爆発ガール三浦しをんとして、インプットされてしまった。それが故、三浦氏ではなく、しをん氏と呼びたくなってしまったのだ。
 小説とエッセイは別物だと思うが、この妄想力があの素晴らしい小説を生み出す糧になっているのかと思うと、なんだか感慨深い。わたしもしをん氏に倣って、妄想力を鍛えていきたいと思う。

38 ビブリア古書堂の事件手帖2 〜栞子さんと謎めく日常〜

 去年の10月に書いたブログで紹介した文庫本の第二巻。わたしの読書熱を再沸騰させてくれ、本屋大賞ノミネート作品にもなった第一巻の感想文はこちら
 相変わらず本に対する情熱と謎に溢れている小説だった。前巻と少し違っていたのは、ストーリーの流れが出来たことだろうか。前巻はひとつひとつをそれぞれ取り上げただけでも充分に楽しめる内容だったが、第二巻は全体の流れが物語の中心にあって、そこに本にまつわる謎解きが付随している、といったような印象を受けた。よって、謎解き部分のインパクトは弱まってしまった気はする。けれどその分、読者を惹き込むストーリー展開で魅せているようだった。栞子さんと主人公の関係が縮まっていく様子や、栞子さんとお母さんの確執など、見所は多い。わたしは謎解きより、そういったキャラクターに着目した部分に目が行ってしまった。
 そして、前巻と比べてばかりになるのもあれだが、今回は前巻よりも如実に漫画的要素が使われていたように思う。ライトノベル的とでも言うか。確かに読みやすいのだが、わたしは第一巻のテイストの方が好きだった。ただ、ライトな読者層にはぴったりかもしれない。小説を読むのが苦手な人でも、すんなりと読み進められるような作りになっていると思う。
 実在する地名が出てきたりと妙にリアリティがありつつも、登場人物や古本屋はまるっきりの架空だと宣言する作者。あとがきで綴られているこういった小説の作り方はとても共感出来た。実在する世界にフィクションを含ませることで、小説は力を持つ。全部本当だったらそれは小説ではなくなってしまうだろうし、全部嘘というのもわたしとしては物足りない。適度な現実感と、巧みな虚構から成り立つものが小説なのだと思っている。そのバランスがとても上手くいっているのが本書なのではないだろうか。ビブリア古書堂ひとつにしても、本当に北鎌倉にこういうお店がありそうだな、と思わせるのが上手い。また、北鎌倉という立地を選んだこともどことなく小説的な空気を感じさせる。そういった小説の周囲を固める描写や設定が、非常に上手い作品だと言えるだろう。
 今後もまだ作品は続く。続きが実に気になる風に終わっている今作は、これだけでは物足りないが、続きを期待せずにはいられない作品となっている。第三巻は近々発売とのことらしいので、そちらの方にも期待を寄せつつ、本の魅力を何度でも教えてくれる本シリーズと出会えたことを何よりも喜びたいと思う。

37 夜のかくれんぼ

夜のかくれんぼ (新潮文庫)

夜のかくれんぼ (新潮文庫)

 ショートショートはその短さの中に小説が余すことなく凝縮されていて面白いジャンルだ。ただ短い文章というだけでは、小説としては成り立たない。物語が成立し、何かを示している。その状態にあの短さで持っていくのは至難の業だと思う。でも、星新一はそれをやってのける。海辺を散歩している時の波のように次から次へとわたしを攫っていく物語たち。その畳み掛けるような短い物語の連続に、次第に酔いしれるようになる。
 星新一ショートショート界では神様のような存在として知られているが、実際に読んでみるとそれも頷ける。ひとつひとつの物語が納得出来るもので、当たり前だがどれも手抜きのものがない。それがあれだけ膨大な量あるのだ。
 やはりショートショートは短いので、その数は重要になってくると思う。質の高い物語を集めることで、更に上を目指していける。あれだけの数を書けるということは、かなり高評価をもらっていい才能だと思う。千以上の内容のある物語を紡いで、それでようやく星新一というジャンルが確立出来るのだ。
 そして、ショートショートというとSFやオチのある話というイメージが強いかもしれないが、そんなことはないらしいというのが本書を読んでの一番の感想かもしれない。SF要素が強くなくてもぞっとするような話は書けるし、オチがはっきりしていなくても心に残る物語は紡げる。そんな風に感じることの出来たショートショートが何作かあった。その事実は自分の制作姿勢に対して、後押しして貰えているような気分になった。本書を読んでの一番の収穫だったかもしれない。
 個人的にはSF色の強い星新一作品が好きだった。タイムスリップとか、宇宙関係のモノとか、近未来的な匂いのするものは好ましい。というのも、わたしは渡辺浩弐の「1999年のゲーム・キッズ」シリーズを昔よく読んでいたからかもしれない。このゲームキッズシリーズもショートショートから成る小説で、星新一が好きな人はもしかしたら気に入ってもらえるかもしれない。星新一よりもだいぶブラックユーモアといった感じだが、こちらの作品もショートショートというジャンルでは忘れずに推しておきたい。
 ショートショートの作品は、小説の可能性を感じさせてくれる。わたしも可能性を広げるために、濃密な短い物語をたくさん紡いでいけたら、と思った。

36 ディスカスの飼い方

ディスカスの飼い方

ディスカスの飼い方

 大崎善生の作品を読むのは久し振りだった。大崎善生はわたしの敬愛する作家のうちの一人だ。元雑誌編集者で、将棋の世界で生きてきた。妻も元棋士だ。そんな大崎善生が今回出逢ったのは、将棋ではなく、熱帯魚だった。
 この物語は熱帯魚、特にディスカスに惚れ込んでしまった男の話だ。ディスカスのために恋人と別れ、会社を辞め、ブリーダーになる決意をする。その最初の一歩である、新しい環境作りから最初の繁殖の様子を描いている。
 熱帯魚の描写は実に詳細で、まるで専門書を読んでいるかのようだった。しかしそこまで堅苦しくなく、あくまで小説の補助解説といった感じで描写されていたことに好感が持てた。
 何かひとつのジャンルについて追求して描写することは、なかなか難しい。この作品のようにかなりディープに描くためには、かなりの資料集めと勉強が必要だ。今の時代は感覚や経験から小説を書く人が多いので、こういった深い調査に基づいた小説というのはなかなかわたしの中では評価が高い。本当に気になって、好きにならないと書けないことだ。熱帯魚について調べていて楽しくて仕方がないといった感じがこの作品からは伝わってきた。小説のために色々勉強することも、作家の仕事なのだと思う。
 小説を面白くするために、とことん突き詰めて情報収集をすること。それが良く出来ている小説だと思った。情報を小説に還元するのが非常に上手い。本来、作家とはそうあるべきなのだ。ただ闇雲に思うがままに書き連ねれば良いというものではない。頭の中の妄想だけでなく、自らの足を使って得た情報を最大限に利用して小説は書かれるべきなのだ。わたしはこの物語をそんな小説の成功例として挙げたいと思う。
 確かに、説明が細かいので退屈に感じたりする人もいるかもしれない。けれども、自然に熱帯魚に興味を持って、主人公と一緒に熱帯魚について知りたくなっている自分がいた。知らないことを知れること。それもまた小説を読むという行為の中での楽しみのうちのひとつなのだ。
 大崎善生が将棋や熱帯魚と出逢ったように、わたしも早く何かと出逢って、それについて物語を紡ぎたいと思った。

35 これはペンです

これはペンです

これはペンです

 「道化師の蝶」で芥川賞を受賞した円城塔の作品。読んでいる間中わくわくして、ライブ感のある読書を楽しむことが出来た。ストーリーというよりは、文章で人をこんなにも楽しませることが出来るのかと感銘を受けた作品。読書の面白さを追求した作品だと思った。読後感や内容というよりは、読んでいる間そのものが楽しいという、少し変化球的な小説だと思った。
 まず、書き出しからして秀逸だった。「叔父は文字である。」という文面から、あなたは何を想像するだろうか。この作品の言いたいことは、この一文に尽きるのではないかと思う。この物語では一貫して、主人公のわたしの叔父という人物がどんな人物なのか、とても気になる謎めいた書き方が施されている。そもそも人なのかどうかすら怪しい。でも、思わずそんな叔父に夢中なり、叔父の手紙を心待ちにしてしまう、そんな魅力が存在していた。
 文章はさほど堅苦しくはなく、割とすらすらと読み進めることが出来た。ただ、頭の良い、頭の回転の早い人の文章だろうな、とは思った。読んでいてとても心地良いのだ。一定のリズムで奏でられる物語は、頭にも心にもすうっと自然に沁み込んでいく。読者のことを良く考えている小説だと思った。置いてけぼりにされている感もあることにはあるが、それはイコール見捨てられた感ではないのだ。
 円城塔作品は難しいと耳にすることがあるが、わたしはそうでもないと思う。確かに、感想を述べたり、内容を説明したりするのは難しいかもしれない。しかし、読書という観点で考えれば、さほど難しいことはなく、むしろとても楽しいものだといえる。難しく考えてしまうのはこちらのほうで、物語はもっと自然にそこに寄り添い横たわっているのだ。もっと素直に読書の瞬間を楽しめれば、円城塔作品をもっともっと面白く感じられると思う。まだ手に取っていない方には、是非読んで頂きたい作家の一人だ。

34 作家の手紙

作家の手紙 (角川文庫)

作家の手紙 (角川文庫)

 代官山蔦屋書店にて平積みされていたのでなんとなく購入した一冊。短くてさらっと読める手紙作品集だ。
 手紙というと、個人的な内容になることが殆どだと思う。特定の誰かへ宛てた手紙には、たっぷりと相手への精一杯の想いが込められている。手紙には、ドラマがある。そこに着目して手紙風の創作作品や、実際に送った手紙、送りたい手紙を作品にしたものを集めていた。くすっと笑ってしまうものや、真剣に読みたいものまで、幅広く掲載されている。そこには小説とはまた少し違う方向から垣間見える物語があった。
 作家というと文章のプロだ。そんなプロの面々が綴った手紙はそれだけで芸術となる。手紙という固定された様式の中で、それぞれが工夫を凝らして手紙を読み物にしている。その技の数々は大したものである。
 明らかに創作だとわかるものもあれば、本当のことなんじゃないかと思ってしまう手紙もあった。そのどちらを取るのが正しいのかは、全て読者の判断に委ねられている。解説も何も存在しない本書は、作家から発信された渾身の、本当の意味での手紙、メッセージなのかもしれない。日頃言えないことも、作品という手紙にすることで、書きやすくなる。
 作家は、小説を書くことが仕事である。その仕事の延長線上にあるこの作品の僅かな部分に本音をしたためて、照れ隠しをしているんじゃないかとさえ思った。届けられない人へ、届いて欲しい。作家自身のそんな願いが込められている作品のように感じた。作家の等身大の声を作品を通して聞きたいのなら、オススメの一冊だ。