33 きりぎりす

きりぎりす (新潮文庫)

きりぎりす (新潮文庫)

 太宰治中期作品から成る短篇集。割と短いお話が多いので、ちょっとの空き時間にあっさりと読み進めることが出来た。
 今まで、太宰は絶望的なストーリーが多く、どの話も大体同じようなことを言っているイメージだった。しかしそれはわたしの中に凝り固まった固定観念でしかなかった。この短篇集「きりぎりす」はそんなことはなく、様々な角度から小説を考察している太宰の姿は、とても好意的に見れた。中期は安定して小説に打ち込めていた時期らしく、それが如実に現れていたと思う。わたしは中期の作品が太宰の中では一番好きかもしれない。
 特に「畜犬談」はとても面白い小説。面白さを追求した小説と言ってもいいかもしれない。自虐的な太宰らしい表現の中に、犬を憎めないでいる優しい心が見え隠れして読みながらにやにやしてしまう。この作品を読んで、太宰作品に対する印象が大きく変わった。
 作品群の中でわたしが一番好きだったのは「水仙」という作品。告白調でも随筆調でもなく、わたしの知っている、好んでいる、小説という理想の形に最も近かった。自分の才能に自信を持てたら起こらない悲劇の話だが、他人を疑わずにいられない、実に人間らしい話で、よく出来ていると思った。
 太宰をはじめとする純文学は難しいと思われがちで敬遠されることが多いが、それは勿体無いと思う。読んでみると意外と共感出来たり、その巧みな文章力に圧倒されたりするものだ。一般的に良いとされているものには、そうされているだけの理由がある。それを自分で発見していくことも、純文学の楽しみ方のひとつなのではないだろうか。

32 眼球譚

眼球譚(初稿) (河出文庫)

眼球譚(初稿) (河出文庫)

 2月の対談相手である胡子さんベスト本の中の一冊。少女は素直でなくてはならない、という胡子さんに頂いた一文と共に読み進めていった。
 シモーヌはまさに天使だと思う。これほどまでに素直で本能に従順な少女をわたしは知らない。一見突飛な言動の数々で、卑猥とも呼べる表現が最後まで続くが、全てはシモーヌの求めているところである。シモーヌは恥じらいを拭い去り、他人の目を完全に無視したところに存在している。まさに自分主義だ。これほどまでに素直だと、多少面は食らうが、なんでも言うことを聞いてあげたくなってしまう気もする。わたしはこうしたい、と思うと同時に行動しているような隠せない素直さは純粋過ぎて、逆に敬遠されてしまうかもしれない。確かに本書を読みながら、複雑な気持ちだった。シモーヌの言動を全て認めて黙って読み進めたい想いと、今すぐに本を閉じて捨ててしまいたい想いとが交錯していた。
 最後まで読み通したことで、わたしは少しシモーヌに近づけたのだろうか、と思う。素直な少女は見ていて気持ちが良い。願わくば、シモーヌの恍惚に満ちた笑顔がありますように。

31 人魚姫のくつ

人魚姫のくつ (新潮文庫)

人魚姫のくつ (新潮文庫)

 恋をし続ける元サーカスの玉回しをしていた主人公。その美しい足には誰もが感嘆の溜息を漏らしたものだった。三人の男性と同時に付き合い、やがて妊娠し、その中の一人を選んで結婚する時も、彼女は自分なりの基準で男たちを選別していた。恋をし続けたいと願う彼女は根っからの恋愛体質なのかもしれない。しかしその恋の仕方は、どうにも恋に恋するといった感じで、自分の満足のためでしかない気がした。
 そこまで自由にしていて許される主人公を怖いと思う人もいるだろう。わからないという人もいるだろう。けれども、わたしはなんだか自分のことのように思えてしまって、親近感が湧いた。
 わたしも子供が出来たって、常に恋はしていたい。それが例え恋じゃなかったとしても。何かに夢中になることをやめるなんで出来ない。それは自分本位な考え方かもしれない。けど、後悔なんてしたくないから、いつだって自分に正直に思うままに生きるだけなのだ。そしてそれは幸せでありながらも、何処か虚空を孕んでいるものなのかもしれない。
 文章としては、流れるような場面転換が見事だった。また、夢見心地な文体と、上品な言葉遊びが印象的だった。タイトルも上手い、と思わず唸ってしまった。色々見習いたい部分の多い小説だった。

30 しっぽちゃん

しっぽちゃん

しっぽちゃん

 猫、犬、カメ、セキセイインコなどしっぽのある生き物と生活する様が描かれた物語集。心温まる優しく柔らかい物語ばかりで、ふんわりとおひさまの香りのする毛布にくるまったような気分になった。
 動物たちはいつでも素直で真っ直ぐに人間と向い合って生きている。その時その時を生きるのに一生懸命な姿には、こちらが励まされたりすることも多い。この物語集は何かしらあって落ち込んでいる時の救いとして、動物たちの姿が描かれている。そんな心の交流に思わずこちらまでにこりと笑顔になってしまうこと請け合いだ。
 ただ、若干物足りなさも感じた。綺麗にまとまり過ぎていて、言うならばこの世の善ばかりが描かれていて、それだけじゃないだろうともっと厳しい現実を思わずにはいられなかった。でもこの物語集はそんなことは考えずにもっと単純に素直に受け止めるべきなのだろう。たとえ一時だったとしても、笑顔になれる瞬間があるということは、とても幸せなことなのだから。
 我が家には一匹のうさぎ、ユキチャンがいる。実家で猫も三匹飼っている。動物は昔から大好きだったので、今や動物と共に過ごす時間があたり前のようになっている。そんな動物好きのわたしは、この物語集の中に登場するそれぞれの主人公の中に自分の姿を見出すことが出来た。どの主人公もとにかく動物が好きで、動物たちの幸せを願っている。そして、動物たちに勇気づけられ、たとえ嫌なことがあっても一緒に前向きに生きていこうとする。動物たちは、わたしたちの人生における、大事な子供であり、戦友なのかもしれない。改めて、ユキチャンと一緒に暮らせる今この時間を大切にしたい、と思った物語集だった。

29 少女不十分

少女不十分 (講談社ノベルス)

少女不十分 (講談社ノベルス)

 フィクションとノンフィクションの狭間で書き続けることが出来る人が小説家なのだろう。
 西尾維新の作品を読むのははじめてだった。読みにくい(というか好き嫌いが別れる)と一部で言われているが、わたしは割とすらすらと読み終えることが出来た。次が気になる文体や展開はさすがで、淡々とした独白調の文体ならではの書き方もあったりと色々参考になる部分が多かった。
 小説家を主人公にしているので、思わずこれは西尾維新の身に本当に起こったことなのだろうか、と思うこともあった。というか、ほぼ最後の方までは西尾維新自身のノンフィクション小説であると感じていた。しかし、エンディングでそれらを見事なフィクション、創作小説に仕上げている。そこの線引きがとても上手いと思った。
 内容としては、現実に起こりうる出来事で、有り得ないだろうと思いつつ、でももしかしたらあるのかも、と思わせる。そんな小説だった。
 少女Uと主人公の関係がとてもリアルで、また少女Uの存在自体も「居たらびっくりするけれども本当に居そう」な少女像となっていた。
 何故大学生である主人公が小学生の少女Uに言われるがままになっているのか。それを受け入れられない人は多分読み終えることが出来ないだろう。理不尽なやりとりの中に嫌悪感や疑問を抱く人もいるかもしれない。これは、少女Uという存在をまるきり認められることが出来るかどうかにかかっている物語と言えるだろう。だから、無理だと思ったら諦めるしかない。事実、主人公も何度かそのようなことをほのめかしている。わたしは少女Uのような少女が好みなので、興味を持って読み進めることが出来た。
 少女Uが幸せであるように、そう願わずにはいられない。静かな小説の中、その想いだけが強く、どこまでも強く残った。

28 クローバー

クローバー

クローバー

 憎めない自由奔放な恋愛体質の双子の姉と、堅実で地味な弟という組み合わせを弟視点で描いている。
 最初は姉の恋愛模様についてのストーリーなのだが、徐々に弟自身にスポットが当てられていた。特に最終章で重大な決断をする弟は、見ていてとても格好良かった。
 弟の決断と、自分の旦那である人の決断が重なって見えてしまい、共鳴した。わたしが結婚したのは旦那がまだ学生のうちだったので、その時もしかしたら旦那もこういうことを考え悩んでいたのかもしれないと思うと、なんだか涙が出そうになった。
 自分の進路というものは人生の選択においてかなり重要なウエイトを占める問題なのではないだろうか。わたし自身も進路についてはかなり悩んだ。特にモラトリアムであった専門学校時代から、その後就職するかどうかの進路ではかなり思い悩んで心を病んでしまったくらいだ。
 この物語では大学生である弟が、彼女の父親の病気を発端に、就職するか院へ進むかといった選択を迫られる。結局彼は彼の中のベストと思われる答えを出したのだが、それに納得しない人ももしかしたらいるかもしれない。わたしとしては、旦那と似ている境遇の弟の気持ちはとても近く思えてわかったような気分になったのだが、理解出来るからといってそれが最善の選択だったかと言われると正直わからない。ただ、弟はこれからも自分に胸を張って生きていけるだろうし、後悔することはあるかもしれないが、それを過ちだったとは思わないだろう。
 人生における取捨選択に、間違いなどきっとないのだろう。人生なんて、迷いだらけだ。でも、それも悪いことではない。後悔することはあっても、いつか過去の自分の選択を優しく包み込めるような大人になれるよう努力するしかないのだ。何があっても前へ前へと進んでいく。ただ、それだけが唯一の救いであるかのように。弟の前向きな決断を温かく見守りたくなる、そんな物語だった。

27 メルカトル

メルカトル

メルカトル

 亡くなった祖父の書斎から埃にまみれた古ぼけた本を見つけた時の懐かしさと好奇心のようなものを感じた一冊だった。
 三人称で淡々と語られる中でも、描写が丁寧で美しく、まるで繊細なガラス細工を眺めているような気分になった。特に街の描写が印象的で、何処か海外のレンガ街を彷彿とさせる。
 物語の結末としては綺麗にまとまり過ぎていて多少物足りないと感じる部分もあったが、よく出来ていて読後感も悪くない。読んでいる間中、これからどうなるのだろうというわくわく感と、少しずつ答えが見えてくる期待感が交錯していた。不思議に満ちた物語展開に、次のページへ早く、と急かす自分がいた。
 登場人物の名前も特徴的で、意味深なものとなっている。最初は多少とっつきにくかったが慣れれば愛着も湧いてとてもお気に入りの名前たちになった。名前を愛されるということは、その人物が愛されることと同じ。憎めないキャラクターたちをわたしはいつしか好きになっていたようだ。
 感情の起伏のあまりない主人公なので、淡々と物語自体を楽しめることが出来た。次々と舞い降りてくる少し変わった目の前にある事象を素直に受け止めることが出来たのも、主人公の性格のおかげだろう。違和感を持つことなく、最後まで読めた。逆に起伏がそれほどないため、一気に惹き込むタイプではなく、じわじわと面白さが広がっていく物語と言えるかもしれない。
 とにかく、わたしは充分に楽しい時間を過ごすことが出来た。物語を読むことが素直に面白い、楽しいと感じられたので良かった。長野まゆみの他の著書も読んでみたい。